【レクイエム・フォー・フクシマ】
当初は、「アトミック・ボンバーのためのレクイエム」を構想していたのであるが、その最中、2011年3月11日、東日本大地震が起こった。死者 行方不明者のうち、行方不明者が占める割合は18%台に達し、なす術もなく自然の脅威にさらされた災害の凄まじさを物語って余ある。そ して、福島第一原子力発電所の事故が明らかとなった。主要な被災地のひとつである福島県は、地震の被害と放射線の恐怖に加え、被災 者でありながら、日本国内で差別されるという、表現のしようもない悲劇的な状況に追い込まれたのである。わたしは、熟慮の末、その「レク イエム」を、福島のために捧げようと決断した。67年前に起こった広島と長崎の原子力の地獄が、形を変えて再び日本へ現れた輪廻を、わ たしの作品もまた踏襲していることに慄然たる想いを抱きながら。 日本人が福島と聴いて思い浮かべる「母なる田舎」の印象は、人間の手が編み出した原子力という得体の知れない怪物の影に脅かされ、 ただただ打ちひしがれている。もとより復興が終わった訳ではなく、避難を余儀なくされている人が多数に上る被災中である。わたしは、「レ クイエム」のテクストに、固有ラテン語典礼文の中でも、最も黙示録的であり、激越な慟哭を含む「ディエス・イレ」を選んだ。 福島は、まだ希望の道にはない。それは、わたしに取って、悲痛な叫びに充ちた呪詛の大地なのだ。 (清水研作)
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